鹿児島ウォッチャーは「鹿児島を深堀する」ネットメディアです

鹿児島ウォッチャーは「鹿児島を深堀する」ネットメディアです

  1. HOME
  2. レポート
  3. 経営講座2.稲盛経営が生まれるまでの経緯(その一)

コラム特集記事 稲盛経営

経営講座2.稲盛経営が生まれるまでの経緯(その一)

2016.4.14
執筆者:菅井 憲郎(スガイノリオ)

 

質問2

稲盛経営は、どのような経緯をたどって形成されたのでしょうか?

 

回答

稲盛経営を理解するためには、初めに稲盛氏の生い立ちや経営者としての経験など、稲盛経営ができるまでの経緯を知っておくと、理解しやすくなります。

そこで、経緯を2回に分けて説明します。

 

  • 稲盛経営の経緯の一つには、幼少期に、郷土鹿児島に伝わる郷中教育の精神に接していることがあります。
  • 稲盛氏は、1932年1月、鹿児島に生まれました。大学を卒業するまでの間は、鹿児島で育ったので、この間に、鹿児島の伝統である郷中教育に接していました。この教育は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時代に始められたもので、江戸時代の末期には西郷隆盛も大久保利通もこれによって育てられました。
  • この教育によって、子供たちは、「ウソをつかない、弱い者をいじめない」などの人間としての基本を叩き込まれます。
  • また、この教育の中で儒学のほか、赤穂浪士の義士伝や維新後に旧庄内藩士が記した「南洲翁遺訓集」を教科書として、人格教育を受けています。
  • 現に、稲盛氏は、京セラの社是に西郷の言葉である「敬天愛人」を取り入れていることから、西郷隆盛の教えが身に染み付いているものと考えられます。

 

◎稲盛氏は、西郷さんと同じ思いをしていることに気づき、「敬天愛人」を社是とし、経営に悩んだ時に「何が正しいかを判断するときに、西郷さんの教えを参考にした」と言っています。

◎さらに、西郷さんは、官軍が庄内に進駐したとき、薩摩藩の兵士に身に付けている刀を取らせて、丸腰にしましが、これを見た庄内藩士は感激したといいます。

◎稲盛氏は、この逸話を著書の中で紹介しているところをみると、稲盛氏が日本航空の再建のために会長として乗り込んだ時に生かされているのではないだろうかと推測します。そして、その様な振る舞いが日本航空の社員から信奉され、再建に成功したのではないでしょうか。

◎また、西郷さんは、「命も、名も、官位も、財産もいらないという人が、大きな仕事を成し遂げることができる。」という言葉を遺していますが、この言葉から、稲盛氏は、「経営者は、謙虚さを忘れると身を滅ぼします。無私の心を持ち、利己的なことをしてはいけません。役職で従わせるのではなく、社員があの人のためならばと思うほど、誰にも負けない努力をしなければなりません」などの教訓を生んでいるのではないかと考えます。

◎稲盛氏は、大久保利通について、その著書の中で、西郷さんが「志と誠の人」であるのに対して、大久保さんは「合理と論理の人」であるとしています。「大久保は、利害を調整しながら、国家という巨大な組織を創った。そこに真のリーダーの姿を見ることができる」とし、「経営者は、この両面を使い分けることが必要である」と、説いています。

 

【参考質問】

西郷さんの言う「敬天愛人」とは、どのような意味ですか?

 

【回答】

稲盛氏は、この言葉を、次のように解説しています。

  • 「敬天」とは、道理に従ってものごとを考え、偉大なるものへの恐れを知ることであり、謙虚さ、素直さを尊ぶことです。
  • 「愛」とは、人の魂から発するものです。魂とは、「愛」と「誠」と「調和」に満ちたもので、「愛」は、その魂から発した優しい「思いやりの心」のことです。これをキリストは「愛」と言い、お釈迦様は「慈悲」と表現しました。
  • つまり、「敬天愛人」とは、「天が定めた道に従い、思いやりの心をもって生きる」ということであり、それによって幸福をもたらしてくれるということです。
  • なお、この「天の道」とは、法律を超えて、人間として正しことを求めるものです。

【注】「京セラフィロソフィを語るⅡ」稲盛和夫著[京セラ株式会社出版]から

 

2.経緯の第二には、大学を卒業し、京セラを設立するまでの創業期に苦労を重ねたことがあります。

◎すなわち、稲盛氏は、鹿児島大学を卒業しましたが、就職先がなかなか決まりませんでした。自書に、「就職活動で、コネがなければ就職できないことに、自暴自棄になったことがある」と書いています。その時に、「熱意よりも考え方が大事」と思ったといいます。

◎結局、やっと京都の窯業製品を生産する中小企業である松風工業に就職しましたが、上司と衝突して退職し、1959年4月に、新たに京セラを設立しました。この時の会社の規模は、資本金300万円。社員は、28名でした。

◎この時期の京セラの経営に当たって、稲盛氏は、「行商のように御用聞きをした」と言っています。

◎創業3年目には、社員から団体交渉を迫られ、将来の保証を要求されました。この時に、「会社の最も基本的な目的は、経営者自身の思いを実現するためではなく、社員とその家族の生活を守り、幸せにすることである」ことに気づき、「経営者の責任の重大さを痛感した」と言います。

◎稲盛氏は、これらの経験を述懐して、「私は若いころから、人生や会社経営について、哲学的な思考をずっと続けてきました」と語っています。

◎稲盛氏は、このような苦労の中で、社員に納得して働いてもらうためには、「何のために働くのか」という、仕事の意義を明確にすることが必要であると考えました。

◎そして、何を頼りに経営していくべきかと悩んだ末、それは「人の心」であると考えるようになったと言います。

 

菅井 憲郎(スガイノリオ)

菅井 憲郎(スガイノリオ)

慶応義塾大(経済)卒。
警察庁、外務省、兵庫県、茨城県に勤務後、鹿児島県庁で青少年育成、消費者保護、国際交流、高齢者福祉、職員研修、産業振興(商工業、林業、水産業)、ウォーターフロント開発等を担当。その後、鹿児島総合研究所専務取締役、鹿児島国際大学大学院教授、鹿児島県立短期大学講師等に勤務する傍ら、運輸事業(バス、船舶等)の経営にも携わる。
著書に「自治体の国際化政策」、「ムラからの国際交流」、「虹色の鹿児島を描く」など。政策研究・論文及び講演等多数。

記事の評価、コメントの投稿には、会員登録が必要になります。

会員の方

パスワードをお忘れの方、
再設定を希望する方はこちら

会員以外の方

鹿児島ウォッチャーは無料会員制です。
会員登録をされる方はこちらから

お申込み
「ウォッチ!県議会 県議会って何だ」
稲盛経営
「ウォッチ!県議会 県議会って何だ」
PCサイドバナー1(中)
ページの先頭へ