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時論・創論 インフラ

「歩きやすさ」を重視したまちづくりの実践を

2015.2.10
執筆者:野口 誠(ノグチマコト)

 地方都市をはじめとする各地で、「にぎわい創出」がまちづくりの重要課題となっている。しかしながら、にぎわい創出に大きく貢献すると思われるまちの「歩きやすさ」への配慮が、どうもおろそかになっている気がする。

 「歩きやすさ」が生み出される要素としては、街区や道路、建物などの大きさや形状(いわば物理的なデザイン)、商店や飲食店、公共施設などそこに導入される機能(いわば土地利用)等が挙げられる。拙稿では、このうち主に物理的なデザイン、とくに街区等の大きさ・サイズの面から、まちの「歩きやすさ」の課題について考えてみたい。

 

◆  まちの「歩きやすさ」、「歩きにくさ」

出典:Google Mapより作成

出典:Google Mapより作成

   私は現在桜島に住んでおり、鹿児島市側で用事がある際には桜島フェリーで渡ってくる。下船後、目的地までは路線バスなどを利用することも可能だが、天文館くらいまでなら歩いて移動することが多い。時間にして15分ほどで軽い運動にもなるし、天気がよい日だと歩いていても気持ちがいい。

 だが、途中の「歩きやすさ」は一様ではない。大まかに言うと、地図中央を縦断する県道204号線(赤い太線)を境に、東西で「歩きやすさ」の印象が異なるのである。街区も道路も大きい東側のエリア(桜島桟橋からウォーターフロントにかけて)は何か歩きにくく感じられるのに対し、比較的細い道路によって街区が小さく切り分けられている西側のエリア(金生町・いづろ方面)は歩くのがあまり苦にならない。どうも街区や道路のサイズが「歩きやすさ」、「歩きにくさ」と深く関わっていると言えそうだ。

 では「歩く」という行為に関して、両者は具体的に何が違うのか。いささか主観も交じるが、それぞれの特徴を以下にまとめてみた。

 

写真1(拡大)

A:県道204号線から東のエリア【写真1】

  • 道路が広く、横断する際には必ずと言ってよいほどどこかの横断歩道で信号待ちが生じ、徒歩移動が円滑ではない。
  • 大きな街区を大回りせず近道しようとしても、土地の内部を通り抜けられるのはドルフィンポートとウォーターフロントパークぐらいで、他はひたすら街区のまわりを囲う道路に沿って歩くこととなる。
  • 土地利用との関連では、民間のビルやマンション、駐車場などが目立ち、一般の人がふらっと立ち寄って利用できる商店や飲食店などの機能は少ない。

 

B:県道204号線から西のエリア【写真2】

写真2(拡大)

  • 幹線道路以外の道路の多くは幅が狭く交通量も
  • 少ないため、徒歩移動が比較的円滑である。
  • 内部には狭い道路が網の目状に走っていて目的地に到達するまでの順路が多様である。またデパートなど大型の商業施設の内部は営業時間中自由に通行でき、街路の役割も果たす。このため、その日の気分で行き帰りのルートを変える、いつもと違うルートを通るなどといったルート選択の自由度が大きい。
  • 土地利用との関連では、小規模で多様な店舗等(商店、飲食店など)が並んで視覚的な楽しさを与えてくれるうえ、時間があれば途中で気に入った店舗等に立寄ることもできる。

 

◆「歩きやすさ」は回遊性・にぎわいを生み出す基本

 にぎわいの創出を語るときに「回遊性」という言葉がしばしば使われる。例えば第五次鹿児島市総合計画(第一期基本計画)においても、「中心市街地の活性化」に関連づけて「にぎわい創出と回遊性の向上」が明記されている。「回遊性」を辞書でみると、「買い物客が、店舗内や商店街を歩き回ること」(デジタル大辞泉)とある。つまり、「歩きやすさ」は回遊性と(そしてにぎわいとも)一体の関係にあると言ってよい。

 そもそも、「歩く」という行為は私たちに備わったもっとも基本的な移動手段である。途中で車や公共交通を利用したとしても、買い物や飲食、商談などを行う場所(つまり最終目的地)に到達するまでの末端区間ではほぼ間違いなく「歩く」という行為を伴う。

 このため、歩きやすいまちでは人々の行動が多様かつより広範囲となり、人々が集い行き交う活気ある空間が創出されやすい。逆に歩きにくいまちでは、人々の行動は施設内や建物内など狭い範囲に限定されやすく、人々は用事が済んだらすぐ車などでその場を離れてしまうし、通りを歩く数少ない人々も歩くことを楽しむことなくただ通過するだけとなってしまう。

 

◆ありがちな「歩きやすさ」の軽視

 だが現実には、案外この「歩きやすさ」が軽視されてはいないだろうか。近年開発・再開発されたエリアをみると、大型や高層の建物を前提とした面積の大きい街区、そしてそれらを取りまく広い道路や駐車場という組合せが連続する光景をしばしば見受ける。

 こうしたエリアには、広めの歩道や横断歩道、随所には公園・緑地など歩行者のための施設も確保されており、歩行環境には一見問題がないようにも見える。だが、信号待ちの時間(大通りを渡る信号は「赤」の時間が長くなりがち)、道路を渡る際の距離や時間(大通りは道幅が広い)、横断歩道の設置間隔(隣の横断歩道まで歩くと遠いことが多い)などを考えると、小さな街区が連なるエリアと比べて歩行者に負担がかかる構造になってしまっている。さきに挙げたウォーターフロント地区がそうだし、県庁周辺などもこれに該当するだろう。一見「近代的」にもみえる新しい街並みが、歩くという人間の基本的な行動にとっては快適性で劣るというのも、何か皮肉に思えてしまう。

 

◆「ヒューマンスケール」重視で歩きやすい空間の創出を

 結局大事なのは、「ヒューマンスケール」のまちづくりなのだろう。歩道や緑地などの施設を整備すれば十分とするのではなく、実際にまちを歩き利用する人々の目線にしっかり依拠し、人々が活動するうえで快適だと思えるようなサイズで街区や道路、建物などをデザインすることが、歩きやすくにぎわいのある空間を創出するうえで不可欠なのだろう。これは至極当然なことともいえるのだが、まちの見栄えの立派さや大きさに重きが置かれるためか、「ヒューマンスケール」という大切な視点がおざなりになっていることが意外に多いのではないだろうか。

 もちろん大きな街区や広い道路の全てが悪ということではない。天文館・いづろ地区をみても、デパートなど一定面積を有した「核店舗」の存在がまちの魅力を高めているし、また一定の交通量を捌くことができる「電車通り」と呼ばれる幹線道路もある。ただし、近年の開発・再開発エリアによくみられるように、大きな街区や広い道路が連続的に広くまちを覆っているわけではない。核店舗や幹線道路の周囲には小さな街区や細い街路が広がっていて、訪れる人々は多様なルートで思い思いにまちを巡ることができる。山形屋やマルヤガーデンズなど核店舗の内部は自由通路の役割も果たし、大きな街区や幹線道路が周辺と一体化して、全体としてヒューマンスケールで歩きやすい空間を形成している。

 現在鹿児島では、中央駅一番街、天文館千日町、ウォーターフロント地区の県立体育館構想など、中心市街地やその近傍で大型の再開発案件が動きつつあり、まちのさらなる発展につながる機会として私も期待を寄せている。反面、「鹿児島の象徴となるような建物を」、「鹿児島で一番高いビルを」といった声を聞くと、まちの“見栄え”が重視される一方で、人間にとってのまちの“使いやすさ”のほうは置いてけぼりになるのではと心配にもなってくる。いくら立派で近代的に見えるまちでも、そこで活動する人々の視点に寄り添ったものでなければ、人々はきっとその空間をあまり利用してくれず、愛着も持ってはくれない。そうならないよう、「歩く」という人々の基本的な行動を改めて見つめ直し、街区や道路のサイズや自由通路の設定に配慮しながら、人々の多様な活動を支えるヒューマンスケールで快適な空間が、鹿児島のあちこちに生まれ広がってほしいと願っている。

 

野口 誠(ノグチマコト)

野口 誠(ノグチマコト)

1969年鹿児島市生まれ。株式会社鹿児島総合研究所、福岡市外郭団体等を経て、現在桜島のNPO法人で観光を通じた地域活性化に従事。とくに関心があるのは交通まちづくり。

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