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薩摩切子復活秘話

2014.12.1
執筆者:菅井 憲郎(スガイノリオ)

 

 もう、30年以上も前のこと。磯の集成館でガラスケースに入った薩摩切子に見とれていたとき、

「切子が好きですか」

後ろからの声に振り返ると、有馬館長の笑顔があった。

「手に取ってみてください。」「いいんですか」「どうぞ」

 群青色の小鉢を持ってみると、ズシリと重い。手に溶け込むような肌触り。柔かい温もりがある。不思議な魅力に、ますます惹きつけられた。

 こんなことがあってから数年後の’82年。そう、今から30年前。私は県の商工課長になった。任期中に、何をしようか。内示のあったその日、帰りのバスの中で考えた。そうだ、あの切子を復活しよう。120年前。斉彬のときに開発され、薩英戦争のときに工場が焼失して、途絶えてしまった。技術者は長崎や佐賀などに分散し、彼の地でガラス工芸を起こし、今でも続いている。

 私は、早速、翌年度の予算に組むため、工業試験場の研究員と語った。しかし、猛烈な反対にあった。こんなやり取り。

 「切子を復元しよう!」「忙しくて、そんな時間がない」「何が?」「薩摩焼の試験」「まだ、薩摩焼?」「業界から持ち込まれる」「では、薩摩焼の試験を半分にして、残りの半分を切子に!」「ガラスは、やったことがない」「だから、やってみよう!」「製法が分からない。」「それが試験場の使命!」「それを作ったところで、どうなるか」

 結局、「資料集めだけでもしよう」ということになった。

 百万円の予算を確保して資料集めに取り掛かったが、それが大変だった。あれほどの特別で、しかも大事なもの。製法を書いた資料があるものと思っていたが、それが見つからない。研究員は、県立図書館、国会図書館、集成館の屋根裏の倉庫にも潜り込んだが、ない。

 半年ほどたって、やっと東大の図書館で見つけた。しかし、その資料にも、製法は書いてなかった。当時は、大事なものは口伝だったのだ。

 ここで、素人のウンチク。切子の価値を知ってもらいたいから。それは、切子製造の3つの技術のこと。発色と()せ、カットである。

 まずは発色。商品とするには、どれも同じ色を再現しなければならない。これは常識。しかし、これが結構難しい。たとえば、銅を原料として青色のガラスを作くろうとしても、出来上がった時に赤色になっていたということがある。仕上げのときに酸素が少ないと青、多いと赤になるから。

 次に、透明ガラスと色ガラスを二重に合わせて()せること。合わせた部分に気泡が入っているとまずい。隙間がないように上手に合わせなければならない。

 そして、カット。切子の命は、キレ味。ためらいがあると断面が歪む。刺身を並べた時のような端麗な美しさが求められる。

 これらのうちでも特に被せの方法が分からなかった。ガラスを重ねる工芸品は、ベネチアガラスや中国の乾隆ガラスなどがある。透明ガラスの上に色ガラスを張り付けるとか、発色する素材を吹き付けるとか、素人ながら、技術者と謎解きをして悩んでいるときに、ガラス研究家の由水常雄さんが薩摩切子に詳しいというので、会いに行った。

 由水さんは、東京でガラス工芸の研修所を経営していたが、色ガラスを被せる技術はなく、材料は千葉のガラス工場から購入していた。その工場に聞くと、先に色ガラスを型に入れて、その内側に透明ガラスを吹いて造っていた。

 全体の製造工程が分かったので、本格的な生産体制に入ることになる。ここからは、行政ではなく、誰かがしなければならない。

 どこから聞きつけたのか、いろいろな人が、自分がやりたいと言ってきた。しかし、「薩摩切子」というブランドのためには、由緒が必要だ。それは島津さんしかいないと、密かに思っていた。そこで、有馬さんに語ってみた。すぐに島津家の方々が訪ねてこられて、やりましょうということになった。

 最初は集成館の前庭にプレハブの小屋をつくり、由水さんの指導を受けて、そこにカットの機械を備えた。カットの技術者は、由水さんの推薦で中根さんが来てくれた。中根さんは購入した被せガラスを材料に、復元に取り掛かった。

 しかし、全工程を磯でやらなければ、物語は完結しない。そのためには発色と被せの工程を確立する必要がある。それをやる人が千葉にいるということを聞いて、島津さんが口説いてみようということになった。その人が、初代工場長の新村さんである。このようにして現在の地に工場が建ち、また吉野の山にあった洋館を移設して展示場になった。

 そんなある日、新村さんが、ぐい飲みの切子を持ってやってきた。黄色い布に包まれ、桐の箱に入っていた。価格について相談したいという。普通の焼き物では、4~5千円のものだったが、これを二万円にしたいという。もうちょっと手ごろにしてはと言ったが、これだけでないとやっていけないと言う。では計算してみようと、その場で、二人で計算した。あれこれと経費を積み上げてみると二千円ほど削るのがやっとだった。

 薩摩切子は、西欧のガラスカット技術と蝙蝠紋などの中国のデザインがコラボレートしている。それが切子の味を演出している。ガラスは、光を透かして見た時に美しくキラリと輝く。斉彬は、薩摩切子を江戸城に持って行き、薩摩藩の至宝として各藩の大名たちに自慢しながら贈ったという。切子の器をかざしてみると、幕末の燃える息吹が見えてくる。

 

菅井 憲郎(スガイノリオ)

菅井 憲郎(スガイノリオ)

慶応義塾大(経済)卒。
警察庁、外務省、兵庫県、茨城県に勤務後、鹿児島県庁で青少年育成、消費者保護、国際交流、高齢者福祉、職員研修、産業振興(商工業、林業、水産業)、ウォーターフロント開発等を担当。その後、鹿児島総合研究所専務取締役、鹿児島国際大学大学院教授、鹿児島県立短期大学講師等に勤務する傍ら、運輸事業(バス、船舶等)の経営にも携わる。
著書に「自治体の国際化政策」、「ムラからの国際交流」、「虹色の鹿児島を描く」など。政策研究・論文及び講演等多数。

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