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コラム トコロ

『うららかな佳き日 「令和」初の寺山・牟礼岡ウォーク』1

2019.6.22
執筆者:宮島孝男

 5月24日(金)、鹿児島市郊外の寺山・牟礼岡路を歩いた。「令和」初のウォーキングにふさわしい、うららかな、とても佳き日であった。今日はどんな一日が待っているのだろう。

 8時20分、鹿児島中央駅から上之原行きのバスに乗る。「東高校下バス停」の手前に「お茶の水」というバス停があった。東京ならぬ鹿児島のお茶の水?地名の由来を知りたくなる。

 辻ヶ丘団地を経由し実方方面へ下る道は、くねくねとして細い。譲り合いの運転マナーが気持ちよい。まもなくすると「別府晋介誕生地」の、続いて「桐野利秋誕生地」の案内板が目に飛び込んできた。すかさずNHK大河ドラマ『西郷どん』の名シーンが蘇る。「おはんたちゃ、ここで生まれやしとな」近々、訪れてみたいと思う。

 クロスする県道16号を横切り、吉野支所前、ゴルフ場前へとバスは進む。桜島が見えてくる。「米神」とか「石郷」とか当時を偲ばせるような名のバス停を過ぎると終点上之原だ(所要時間およそ50分)。濃い緑、匂う草木、空気がうまい。

 ここから先はあいバス(コミュニティバス)が走っているが、もちろん歩いて「寺山ふれあい公園」へ向かう。「かごしまロマン街道」でもある。緑を浴びるように歩く。

 まず目に留まったのが、「吉野酪農開拓記念碑」(市長 勝目清書 昭和29年4月15日)。私は昭和29年の生まれ、この碑と私はこれまで同じ64年余の歳月を経て来たようだ。その脇には「馬頭観世音」も。かつては酪農や農耕が盛んな土地だったのだろう。

①吉野酪農開拓記念と馬頭観世音IMG_5583

 その先の「原五社神社 GEOPARK GEOSITE02」の表示板を中に入ると、広場と上之原振興会館の建物があり、その奥に厳かなたたずまいの一角があった。「上之原集落発祥二百二十年祭記念碑」(平成十年十月十日)、そして氏神と「原五社神社」である。

 

 記念碑や神社はふるさと桜島を向いている。ここから見える桜島は、息を呑むような美しさである。また、池のように静かな錦江湾は日を浴びてキラキラ輝いている。この地を選んだのがよくわかるような気がした。

⑤原五社前から見える桜島IMG_5585

 歩を進めると、「西郷も桐野も共に国憂え 心燃やして此の丘に立つ」(法元康洲)三差路の一角に縦長の大きな歌碑があった。法元先生は高名な書家で私は高校時代、この先生に書道を習った。書の道もだが人の道も自然と教え伝わってくるような風格の方だった。不思議なご縁だ。合掌。

 類は友を呼ぶというが、花好きが集まったのだろうか。沿道の家々、畑にはたくさんの季節の花々が競うように咲き誇っている。ヤグルマギク、ノースポール…わからない花は従兄がアプリで調べてくれる。便利な世の中だ。

➆ヤグルマギク・・・IMG_5596

 花畑の中にはテーブルや椅子なども置かれている。花々に囲まれて飲むドリンクはさぞ格別であろう。紅茶やカクテルが似合いそうだが、やはり私はビールかな(笑)。

 風力発電が見え始めた。プロペラがゆっくり回っている。「鹿児島県師範学校寺山修練道場跡碑」やモンシロチョウが群れをなして飛んでいる「鹿児島市立少年自然の家寺山学習農園」(パイオニア農園、みのり農園)を通過し、10時前「寺山ふれあい公園」に到着した。

⑨寺山公園入口IMG_5601

 入口には「大石兵六夢物語」(吉野兵六会)の看板が掲げてある。平成31年1月作成とあるからつい最近のことだ。地域に残る伝説で地域おこしや文化活動、ついついうれしくなる。

 しばらく休憩する。公園にはグランドゴルフの高齢者とピクニックの園児。別々の世界を楽しんでいるが、両者の交流の時間があればいいのにと思う。

 公園の丘の上には、「吉野牧の疾風馬」の親子像が建っている。その凛々しい姿は、今にも駆け出さんばかりである。伊東凌舎作『吉野牧馬追図』(「鹿児島風流」)から採ったものだ。

 寺山自然遊歩道へ入る。森林浴のせいか心なしか心身が清々しくなってくる。いくらも歩かないうちに「南洲翁開墾地と炭窯跡」の看板があった。「きらす(きらず・おから)の汁に芋飯食い馴れ候」の言葉が記されている。自ら鍬をとり指導した吉野開墾社から西郷が大山巌に書き送った手紙の一文である。

⑫南洲翁開墾地と炭窯跡の看板IMG_5615

 そこから階段を上る。「南洲翁開墾地遺跡碑」(元帥伯爵 東郷平八郎書)と隣には縷々開墾地について詳述した石碑(大正八年十月)が据えられている。じっくり一字一字押さえながら読まないととてもわからない。加えてブト?あるいはそれらしき虫が上半身にまとわりついて邪魔をする。ちなみに今回ブトには道中ずっとといってもよいぐらい悩まされてしまった(刺したりはしないが、とにかくしつこくてうるさい)。

⑬南洲翁開墾地遺跡碑と記述石碑IMG_5619

 続いて池と「水道碑」(鹿児島市長陸軍少将伊地知四郎書 昭和11年11月)があった。池は石が苔でおおわれ、中国や日本の掛け軸に見られる風情といえなくもない。「水道碑」の水の字は草書体で大きくくずしてある。それにしても、当時の鹿児島市長は軍人が務めていたのか。だろうな。いささかびっくり。

⑮水道碑IMG_5621

 今やこの一帯は木々生い茂れる山と成り果て、当時の開墾地(田畑)の面影は全くない。だが耳を澄ますと、「きばっど、チェスト!」西郷や桐野たちが新しい国づくりに精を出す元気あふれる声が聞こえてくるかのようであった。

 その先は鹿児島大学教育学部の研修林になっており、ここで「元気を運ぶ竹林整備」が実施された模様だ。「この竹林は、県民の皆様から寄せられた『緑の基金』を活用して、整備事業を実施しました」の看板が立ててあった。「元気を運ぶ」のフレーズはいまいちだが、地球環境問題へ果たす森林の役割は大きいので、こういうPRは意義がある。

 いよいよ「史跡 寺山炭窯跡」に到着である。世界遺産産業革命遺産だ。歌人八田知紀の記した顕彰碑や紹介板などが建っている。島津斉彬の指示で築造。吉野台地のシイノキなどの原木は良質な白炭の原料となった。できあがった白炭は火力が必要な集成館の工場群に送られた。紀州熊野の炭窯が参考にされたという。

⑰史跡 寺山炭窯跡IMG_5627

 たまたま、5月7日から31日にかけて鹿児島市教育委員会が発掘調査を行っていた。学芸員によると、炭窯の続きが出現するのだそうだ。一旦また埋めるが復元の整備についてはこれから検討するとのことであった。

宮島孝男

宮島孝男

1954年 鹿児島県生まれ。
1973年 鶴丸高校卒業、1979年、九州大学文学部卒業(社会学専攻)
 同年   MBC南日本放送入社。企画部長・マーケティング担当部長や鹿児島総合研究所の企画研究部長・地域政策部長等を歴任
2007年 鹿児島県議会議員(1期)
2013~2016年度 志學館大学非常勤講師
2019年 ㈱言論鹿児島 シニア・フェロー

これまで、県・市町村やJA・商工会等の各種プランを策定、南のふるさとづくりコーディネーター・アドバイザー、県・市町村の審議会・行政評価委員会等の委員、自治研修センター・鹿児島市生涯学習プラザ等の講師を務める。講演多数。
2011年から著書の出版、新聞・雑誌等への投稿・寄稿など本格的に執筆活動を行っている。
2019年から「鹿児島ウォッチャー」に論説、コラム、エッセイなど執筆を始める。

【著書】
・『ウォッチ!県議会 県議って何だ!?』(南日本新聞開発センター)
・『こげんする!鹿児島-鹿児島地域づくり実践編-』(南方新社)
・『どげんする?鹿児島-鹿児島地域づくり戦略論-』(南方新社)

【執筆歴】
・「月刊ずいひつ」(日本随筆家協会)
・「随筆かごしま」
※「月刊ずいひつ」と「随筆かごしま」は休刊中
・南日本新聞「時論」

【受賞歴】
「第24回随筆春秋コンクール」(2018年)奨励賞受賞

趣味は読む、書く、歩く、たまの登山

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