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『陽春の郡山路を歩く』1

2019.6.4
執筆者:宮島孝男

 風はやや冷たいものの日差しがまぶしく初夏を思わせるような4月15日(月)、鹿児島市郊外の郡山路を歩いた。

 いつものように几帳面な従兄が、こまめな行程表を拵えてくれている。歩くことそのものもだが、どうやら行程表づくりから楽しんでいる様子だ。

 私たちは、基本的に公共交通機関を使用する。9時12分鹿児島中央駅から、ウォーク発着地点となる「スパランド裸・楽・良(ららら)」行きのバスに乗った。9時47分「ららら」着。

1桜ほぼちり

 咲き誇った桜はほぼ散り、ツツジが今度は自分の出番と咲き始めている。「ららら」のキャッチコピー『心と体の元気補給基地』よろしく、晴朗な気持ちが蘇ってくる。

 10時、「ららら」出発。「ららら」から県道へ出る左の一角には、横から見ると猫が座ったような石碑があった。「大正9年3月竣工 東小里道改修」と記されている。郡山に限らず、歩いていると「こんなところに何だろう」と道路・架橋・開墾・土地改良などの記念碑に出くわすが、昭和の合併や平成の大合併までのその地域の歴史を物語っており興味深い。

2猫が座ったような石碑

 上の畑にはキンカンの木が5本、金色に輝きしなるほど実っている。腹をすかした下校の際、野いちごなどとちぎって食べた小中学校時代が懐かしい。

 右の一角には、「花かごしま2011」(第28回全国都市緑化フェア)で回遊拠点として整備された花壇があった。春の花々で彩られている。これもウォーキングの先々でよく見かける光景だ。

 県道沿いを歩く。競うように庭に花木を植栽した家々があるかと思うと、朽ち果てて今にも崩れ落ちそうな家々がある。その隣には大型ソーラーが据えてあって妙に対照的だ。ソーラーに音がするのを初めて知った。

 前方には花尾山(540.2m)と三重岳(486.4m)がそびえている。

 八重山は体験済みだが、いずれ登ってみたいと思っている。

 のどかな田園風景が続く。園児が田んぼ脇を散策している。田んぼにはレンゲソウがちらほら。遠い昔、近所のお姉さんがレンゲソウで首飾りを作ってくれたのを思い出す。

 悠々と泳ぐ鯉のぼり。翔馬の名が春風にそよいでいる。それにしても昔とすると本当に少なくなった。少子化を実感させられる。澄んだ川には魚の群れが。こちらも負けじと元気だ。鱗が光った。

7鯉のぼりツツジ咲き始め

 公衆電話がポツンと置かれている。かける人がいるのだろうか。NTTに勤務していた従兄によると、「公衆電話(1種)は、総務省の基準により市街地は概ね500m四方、それ以外は概ね1km四方をメッシュとする区画に1台設置する」との規約があるのだそうだ。なるほど。

 電動シニアカートのおばあちゃんに出会う。90歳超えを自慢する。なかなか立派な語り口調だ。すっかり励まされてしまった。

 県道から花尾古道へ入る。落ち葉を踏みしめる。心地よい音がする。側には大きなツワブキが。食べ頃の旬を迎えている。

9右の花尾古道に入る

 予定していなかった古道に入って正解だった。まもなく「仁王門跡の仁王像」が建っていた。鹿児島市教育委員会の説明文には、「仁王堂の痕跡はなく、廃仏毀釈によって壊され、地中に埋められていたものをここに建てたという。脚部が失われ、無残な姿を晒している」とある。

10花尾古道沿い仁王像

 反対側には、大下の馬頭観音「馬神」も。歩いている時に新発見があり、思いがけないヒト・モノ・コトに遭遇するのも「歩く」魅力の一つだ。「自分で行動しないと新しい出会いはない」従兄の持論である。

 少し歩くと「丹後局御腰掛石」が待っていた。丹後局が東俣村から厚地村へ行く途中、腰掛けて休んだ石である。いよいよ「丹後局ワールド」の始まりだ。

12丹後局御腰掛石

 すぐ目の前は、花尾山登山口方面と花尾神社方面とに分かれる三叉路だった。花尾神社の朱色の鳥居が見える。神社への道しるべのように建っている。そちらへ歩を進める。

13花尾神社鳥居

 従兄は、孫が花尾神社で正月三が日、助勤巫女のアルバイトをしていたこともあり、思い入れが深いようだ。

 鳥居をくぐりぬけると参道沿いに癒し茶屋「杜の風」があった。ネーミングがよい。郊外でこだわりのランチと珈琲を提供する、こういったお店が特に女性の人気を呼んでいる。 

 「山階宮・久邇宮大妃殿下参拝記念碑」(昭和11年5月15日)と島津家の家紋(丸に十の字)をあしらった「さつま日光 花尾神社」の看板を右に見ながら先へ進む。

16花尾神社看板

 山階宮妃は島津忠義の3女、久邇宮妃は7女。島津家は明治以降も続々と公家へ嫁がせていたようだ。ちなみに、「さつま日光」は花尾神社の別名。1713年建立の社殿が、極彩色の彫刻や装飾が華麗なことからそう言われている。

 11時、花尾神社着。社伝によれば、島津氏初代・島津忠久が薩摩・大隅・日向三州の守護職に任ぜられ下向したおり、建保6年(1218年)に父・源頼朝公の尊像を花尾山の麓に安置したのを機に、母・丹後局、神社創始者である永金阿闍梨を祀るために創建したとされている。

 島津氏ゆかりの地として厚く保護され、琉球使節が派遣された折にはここに参詣する慣わしであった。安永2年(1773年)銘と天明7年(1787年)銘を持つ琉球使節奉納の扁額が残っている。安産・子授のイメージが強いが、格式の高い由緒ある神社との認識を新たにする。 

 ここで、尚古集成館館長の松尾千歳氏の学説を紹介しておきたい。氏は高著『鹿児島歴史探訪』(高城書房)で「…忠久を頼朝の子とするには無理が生じるのである。…今は近衛家に仕える京侍・惟宗忠康を父とする説が有力視されている。一方、母が丹後局というのは真実らしい」と論述している。参考にして欲しい。

 境内手前の右手石段を上がると、「丹後局の墓」(多宝塔)、「御苔石」(おこけいし)、「僧永金の墓」(五輪塔)、「月輪塔」、「宝篋印塔」などの石塔群がある。

17丹後局の墓

 「丹後局の墓」には、丸に十の字の紋章や安貞元年(1227年)の刻印があるが、建てられた時期については、近世(江戸時代)という説が強い。

 「御苔石」(おこけいし)は、「丹後局の墓」(多宝塔)に向かって右下奥にある。昔から安産・子授のお守りにと、表面が削り取られた石塔があり、安産祈願のお守りが沢山ぶら下がっている。これがもともとの「丹後局の墓塔」ではないかと推定されている。

 実は私事で恐縮だが、23日に5番目の孫の誕生が控えていたので、より心を込めて安産祈願をした。4月30日、平成最後の日の誕生となったが、これもご利益だろうか。

 石塔群の斜め前方の「丹後局荼毘所跡」を過ぎて、境内に足を踏み入れる。

20花尾神社境内

 御手洗(みたらし)で手を洗い、口をすすぐ。

 社殿入口左側には、「丹後局 七百年 今に局の み命の 春は花さき 秋はもみぢ葉」山茶花同人「故安田尚義」の歌碑も。情趣を添えている。

 階段を上がると、華麗なる社殿が目前に迫ってくる。凛とした佇まいだ。厳粛な空気を醸し出している。

21花尾神社本殿

 お詣りをする。お賽銭は500円。なぜ、お賽銭は500円玉がいいのか?興味関心のある読者諸賢は、ちょっとしたベストセラーになった「リュウ博士」こと八木龍平『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(サンマーク出版)を手にされるとよい。

 

宮島孝男

宮島孝男

1954年 鹿児島県生まれ。
1973年 鶴丸高校卒業、1979年、九州大学文学部卒業(社会学専攻)
 同年   MBC南日本放送入社。企画部長・マーケティング担当部長や鹿児島総合研究所の企画研究部長・地域政策部長等を歴任
2007年 鹿児島県議会議員(1期)
2013~2016年度 志學館大学非常勤講師
2019年 ㈱言論鹿児島 シニア・フェロー

これまで、県・市町村やJA・商工会等の各種プランを策定、南のふるさとづくりコーディネーター・アドバイザー、県・市町村の審議会・行政評価委員会等の委員、自治研修センター・鹿児島市生涯学習プラザ等の講師を務める。講演多数。
2011年から著書の出版、新聞・雑誌等への投稿・寄稿など本格的に執筆活動を行っている。
2019年から「鹿児島ウォッチャー」に論説、コラム、エッセイなど執筆を始める。

【著書】
・『ウォッチ!県議会 県議って何だ!?』(南日本新聞開発センター)
・『こげんする!鹿児島-鹿児島地域づくり実践編-』(南方新社)
・『どげんする?鹿児島-鹿児島地域づくり戦略論-』(南方新社)

【執筆歴】
・「月刊ずいひつ」(日本随筆家協会)
・「随筆かごしま」
※「月刊ずいひつ」と「随筆かごしま」は休刊中
・南日本新聞「時論」

【受賞歴】
「第24回随筆春秋コンクール」(2018年)奨励賞受賞

趣味は読む、書く、歩く、たまの登山

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